JAPAN TRADITIONAL CRAFTS WEEK 2020

 

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JTCW_official Twitterから引用

 

 今回皆さんにご紹介したいのは、「JAPAN TRADITIONAL CRAFTS WEEK 2020」というイベントである。

 

このイベントは一言でいうと、“日本各地で作られる「伝統的工芸品」を東京の30のライフスタイルショップで紹介し、「創り手」「売り手」「使い手」を繋ごう”というイベントである。

 

 実際、店頭ではそれぞれの店舗がセレクトした伝統的工芸品の販売もしており、

店舗を回ってのスタンプラリーも実施される。(詳しい店舗情報、取り扱う工芸品は下の公式HP、Instagramのリンクから見れます。)

 

 またイベントは経済産業省が後援しており、一般財団法人伝統的工芸品産業振興協会によって主催されているもので、行政と民間とが手をとって、伝統的工芸品を盛り上げようという取り組みの一つでもある。

 

 2014年に始まって以来、今年で7年目となり、

 今年は、東京都の30の各店舗で昨日9.4 fri 〜 9.17 thuの14日間で行われる。

 

 コロナウイルスの影響もあり、なかなか外出ができない時ではありますが、

東京近辺にお住まいの方は是非、足を運んで現代の伝統的工芸品に触れてみてはどうでしょうか。

 

 

〈JTCW2020 公式HP〉 : https://jtcw.jp/2020/ 

〈公式Instagram〉:https://instagram.com/jtcw_official?igshid=920kdyaq04a2

 

豊橋筆について(杉浦製筆所さんにお話を伺って)

 

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 先日、豊橋伝統的工芸品である。「豊橋筆」の製作会社である、

杉浦製筆所さんに実際に筆作り作業の様子や、社長の杉浦さんとその奥さんにお話を伺

って来た。

 

 以前、伝統的工芸品についてブログでも簡単に紹介したが、伝統的工芸品には、

認定のためのいくつか条件があり、愛知県内では現在14品目が国から認定されている。

 

 まずは、14品目の中の一つである豊橋筆に関しての簡単なご紹介をしたいと思う。

 

 

1. 豊橋筆はどのようにしてはじまったか

 豊橋筆の起源は1804年(文化元年 江戸時代)にさかのぼり、京都の鈴木甚左衛門が吉田藩(豊橋)学問所の御用筆匠に迎えられ、毛筆を製造したのがはじまりであるといわれています。

 幕末になると、吉田藩の財政も苦しくなり、節約と減俸に苦しめられた下級武士が、人の目につかずに内職できるという理由で筆作りに励むようになりました。

 また豊橋地方は北部に山地があったため、穂首の原材料となる狸(たぬき)、いたちなどの獣毛や、筆管(軸)の材料である竹が豊富であったことから、産地として発展しました。

 

 

2. 豊橋筆ならではの特徴

 原材料の混毛に、水を用いて交ぜあわせる「練りまぜ」の工程を用いることに、豊橋筆最大の特徴があります。この工程により"墨含みが良く、墨はけが遅い”ことが豊橋筆ならではの特徴です。

 

 

3. 現在の豊橋筆について

 昭和51年12月15日には、その歴史と品質が高く評価され、当時通称産業省(現経済産業省)より「伝統的工芸品」の指定を受けています。

 

 

 

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 ここまでが、豊橋筆についての簡単なご紹介ですが、ここからは実際にお話を伺ってわかったこと、感じたことをお伝えしたいと思う。

 

 1). 豊橋筆は職人個人の責任で作る。

  今回杉浦製筆所を伺ってわかったことの一つが、この個人の責任で豊橋筆を作る

 という点である。これは、一人一人が自分の筆を責任持って筆作りの全工程を行うと

 いうもので、豊橋筆ならではの作り方と言ってもいいと思う。

 多くの伝統的工芸品の中でも、筆の産地は他にもあるが、その多くは、各工程ごと

 に分業制度をとっているという。

  

  これは、使い手の要望に細かく対応できることや、使い手であるお客さんからのフ

 ィードバックに対して作り手が責任を持って対処できることなどといった利点があ

 る。

 

2). 作り手と使い手を繋ぐことを大切にしている。

  お話を伺う中で、全国の百貨店をはじめとする物産展にも参加する機会があるとい

 う。 実際、物産展に参加することで、製作のお仕事が止まってしまうことになるが、

 作り手である職人さんが、使い手であるお客さんと直接顔をみてお話ができる貴重な

 機会になっていると言う。

  また使い手の方が、作り手の方に直接お会いできる機会ということで、お客さんか

 らも喜ぶ声も多いという。

 

  実際、作り手である職人さんが、使い手の方と繋がることで自分の仕事が使い手の

 ためになっていることを実感できる。

  また、反対に使い手のためになっていない反省点なども次の製作に向けての貴重な

 意見として生かせることも利点として挙げられる。

 

 

3). 情報発信とその中身が重要。  

  これは、伝統的工芸品に限ったことではないが、やはり、情報発信と中身が重要だ

 ということを改めて実感した。実際、今回訪れた杉浦さんも広報担当が欲しいともお

 話して下さった。

  しかし、一概に広報や情報発信といってもその中身を吟味する必要がある。一体何

 を伝えたいのか、どんなことを受け手に感じて欲しいのか、どんな成果を期待するの

 か。それらを受け手の立場に立ちながら考えるのが、情報の伝え手の仕事だと感じ

 た。

 

 

 

【今回お話を伺って感じたこと】

  今回、杉浦製筆所さんを伺って一番感じたことは、一つ一つのお仕事、ものづくり

 を本当に誠実にされているということだった。

  

  だが、豊橋筆を取り巻く現状は、使い手の減少や、原材料の入手が困難であっ

 たり、価格が高騰したりと厳しいものがある。 

  

  こうした日本の誠実なものづくりの姿勢を残していくためにも、まずは多くの人に

 その魅力を知ってもらい使って貰うことが重要だと再確認した。

  

  しかし、以前ブログでも書いたように使い手のライフスタイルが変化する今、その

 ものづくりの姿勢を受け継ぎながらも、どう今の生活の中に昇華させていくかが鍵と

 なる。

 

  変化の激しい世の中でどんな商品が売れるか、受け入れられるかもわからないが、

 まず、目の前のお客様のニーズに誠実に応え地道にものづくりをする。また新しいア

 イデアは筆に詳しい人に限らず、アイデアはそこらじゅうにあるとおっしゃった杉浦

 代表のように、より良いものづくりのためには変化を恐れない姿勢が大切なのかもし

 れない。

 

 

 

 (今回お話を伺った杉浦製筆所さん)

  株式会社杉浦製筆所

 住所:〒440-0838 愛知県豊橋市三ノ輪町5丁目13

 電話:0532-61-8155 (代表 杉浦美充さん)

 

 

「NOマン」

 

※まず、題名についてだが、かの有名なスパイダーマンシリーズのノーマン・オズボーンのことではありません。

 

 

さて冗談はさておき、

本題だが、自分の人生において、この「NOマン」になること、つまり「嫌われること」というキーワードが大きく影響しているようにこのごろ思う。

 

自分は特に嫌われることを避けて生きてきた。いわゆる「いい子ちゃん」であった。

それを強く意識したのは、自分が大学を卒業して社会人になってからのことであった。

 

特に自分の場合は家業が自営業だったこともあり、周囲の大人との付き合い方を自ずと身につけていたのかもしれない。

 

そして、周囲の人に対してでできるだけいい顔をして接することで、自分の居場所を保ってきた。

 

だが、そうやって振る舞っていると段々と「自分の尊厳」というものがなくなってくるのだ。

 

いかに相手から見てよく見えるかを意識した生き方は、「自分らしい生き方」とは相反するものなのだ。

 

自分の場合、社会人1、2年目でそういった「嫌われない」振る舞いを身に着けたことで、結果としてNOと言えない人間になっていた。そうした中で体調を崩すこととなった。

 

そこで題名についてだが、決して嫌われる振る舞いをしなさいという意味ではない。

自分らしく生きるには、自分の尊厳を守るためには、一定の人から嫌われることがあっても自分の大切にしていることは守るために、時にはNOということが必要なのだ。

 

それは、誰にでも盾をついてまわることとは違う。あくまでも、自分の尊厳に関わることだからこそ、自分はこう思うと相手に対して意思表示をするのだ。

 

これは、あくまでも自分の経験上思うことだが、

自分の尊厳を自然と侵されている人は、今の世の中少なくないと思う。

 

 そして、こうしてNOと言えずに苦しんでいる人も多くいると思うのだ。

YESと言った方が、実際そのコミュニティからはいい顔が立つし、感謝されることだってある。

 

だが、YESと言い続けることによって自分らしく生きることまでを、侵されてしまっては自分の人生にとってやはりマイナスではないだろうか。

 

自分は、一定の人から嫌われることがあったとしても、自分らしく生きることを選択したいと思うのだ。

 

 

「伝統的工芸品」について思うこと

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前回は「伝統」というキーワードで時代の変化と共に必要な変化も

あるのではというような内容をだったが。

 

今回は、伝統的工芸品について考えることを書いていきたいと思う。

現在、伝統的工芸品は、経済産業省のHPによると、2019年11月現在で235種が

認定を受けている。

 

ところで、一般的に「伝統的工芸品」と呼ばれているのものは、伝統工芸品のなかでも、経済産業省の5つの条件をみたしているものがそう呼ばれることになっている。

 

これが、一般的に言われる「伝統工芸品」と伝統的工芸品の違いである。

 

具体的には、以下の5つが条件となる。(伝統的工芸品産業の振興に関する法律(昭和49年法律第57号)より)

 

  • 主として日常生活の用に供されるもの
  • その製造過程の主要部分が手工業的(製品の持ち味に大きな影響を与えるような部分が職人の手づくりによって作られている)
  • 伝統的な技術又は技法により製造されるもの(100年以上前から続いている技法)
  • 伝統的に使用されてきた原材料が主たる原材料として用いられ、製造されるもの(100年以上前から使用されている材料)
  • 一定の地域において少なくない数の者がその製造を行い、又はその製造に従事しているもの。(ある程度の規模を形成して作られてきたもの)

 

以上5つが認定のための条件であり、伝統的工芸品についての簡単な説明となる。

 

 

 しかし、今、伝統的工芸品は、生活の様式の変化や、深刻な後継者不足などにより、産業は全体として衰退傾向にあるという。 

 

 皆さんは「伝統的工芸品」という、言葉を聞いて、どんなことを連想するだろうか?

 

自分で言えば、

 ”おじいちゃんおばあちゃんの家にあったもの”

 ”なんとなく和風のもの”

 ”美術品のような少し敷居の高いもの”

 ”良さを理解するには、少し難しいところにあるもの”

 

といったところだろうか。

 

 しかし、今「伝統的工芸品」と呼ばれるものは、先に挙げた1つ目の条件のように主として日常生活の用に供されるものということが、条件なのである。

 

 つまり、日常生活において使用されていなければ認定を受けられないのであり、本来皆さんの生活から遠い存在でないということが、大前提としてあるのだ。

 

 もちろん、現在の生活にそれらが、合理的な意味や理由を持って

存在し続けるには、伝統的なものだからと言った理由だけでなく、時代に合わせた変化が必然なのである。

 

 伝統的工芸品の作り手の中には、「分かる人だけが、分かればいい」

と言ったいわゆる「いいもの文化」のようなものがあるが、

そういった、作り手の一方的な考え方は、実際の消費者の生活に届かず、

廃業を余儀なくされるケースだってあるのだ。

 

 前回の繰り返しにもなるが、伝統だからと言った理由だけで思考停止になってしまうのは、今の時代、生き残れないのではないかと思う、今日この頃である。

今の社会にとってよりよいもの模索して、それに対して変化を恐れない姿勢が大切であると思う

 

「伝統」について思うこと

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題名の通り「伝統」について最近思う場面があった。

 

自分は幼い頃(小学3年)より剣道と居合道を続けているが、

大人になる(筆者は26歳だが)と剣道界、居合道界の色々なことが

見えてくるようになった。

 

 

最近気になるのが、

稽古後、「先生の道着、袴をそのお弟子さんが畳む」というような場面だ。

 

師匠に教えてもらっている以上、その身の回りのことは、教えて貰う身の

者が面倒を見る。という考え方だろうか。

 

実はこれは自分が大学生時代に身につけさせられた振る舞いの一つである。

 

つまり何が言いたいかと言うと、

「自分のことは自分でやる」という基本的なことを伝統や慣習といった理由だけで、

そういった力を身につける機会を妨げてしまっているのではないかということだ。

 

どの界隈でも第一線で今活躍されている方々は、

「(先生の道着を)畳みます!」と弟子や生徒が言った際には、

「自分で畳むから、周りを見てもっとやれることをやって。」

とおっしゃられる先生方が多い気がするのだ。

 

そういった先生方は「自分のことは自分でやる」といった考え方と「謙虚さ」を大事にしているのではないかと思う。

 

どの世界においても時代の変化と共に変化することはあるが、

その変化を伝統や慣習といった理由だけで妨げている場合がないだろうか。

 

そういったものも含めて指導する立場にあたるものの姿勢が、

その組織(自分の場合、大学や道場)の姿勢になっていくと思うのだ。

 

 今の自分も、ただ「伝統だから」といった理由だけで、

大切なことを疎かにしていないか省みていきたい。